読書会開催記④
読書会開催記、最終回です。
そもそも人が集まるか不安なイベントであったが、予想外の追い風のお陰で蓋を開けてみれば告知開始2週間で満席御礼であった。素人イベントにしては快挙である。(増席という手もあったけど、運営が不安なので今回は30人で締め切った。)
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そして迎えた当日。当日の運営は、当時読書会を一緒に運営していた仲間達と、その彼女様がありがたいことに手伝いに来てくれた。各テーブルのファシリテーション(班長?)が主な役目であるが、忙しい中時間を割いてくれて会場の設営から受付まで手伝ってくれ、感謝至極である。我々夫婦だけではとても手が回らなかった。
イベントの開催時刻が迫り、ぼちぼちと人が集まってくる。初開催のイベントなので全員初対面である。参加者の皆さんも緊張されていただろうが、我々だって緊張している。・・が、集まってくれた方々は知的で気さくな方ばかりであった。中にはプロのコメディアンの方や車のデザイナー、本にまつわる事業を企画されている方や、我々など足元にも及ばないほどのガチな読書家の方などなど、読書会を開かなければ出会えなかったであろう素敵な方も沢山来てくれた。
私の司会のまずさは置いておくとして、ファシリテーターの流石のトーク力のおかげでイベントは大盛況。盛会のうちにイベントが終了しても、なんと誰も帰らない。仕方なく二次会会場を探して夜の心斎橋を私は一人走り回ることになったのだけど、これは嬉しい誤算と言うべきだろう。
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後日アンケートの結果、参加者満足度は10点満点のうち、8.4点!上々の数字である。
この勢いで第二回に繋げよう・・!と思っているうちに、このイベント最大の不幸が訪れた。今回、イベント会場を太っ腹に貸し出して頂いた心斎橋のスタンダードブックストア様が、なんと 閉 店!
・・そう、実は同店は建物の契約満了による立ち退きを秘密裏に進めていたのだ。イベント主催者というよりいちファンとして愕然とする事態である。
大好きな書店の閉店を悔やむよりも、お店が閉店される前にイベントを開催できたことを喜ぶべきだろうか。素晴らしいお店はいつまでもそこにあるとは限らないということを改めて教えられた。次回の読書会に向けて、振り出しに戻って会場探しからスタートする我々であった。。
読書会開催記③
読書会の開催が予想外にスムーズに決まり、慌ててイベント告知の準備に取りかかった。
まずは告知のために告知文と告知画像(アイキャッチ画像)を作成。あまりガチな感じにならず、そしてチャラくもなく・・、オシャレな書店の雰囲気を壊さない告知文を考えるのは難題であった。
苦難の末に出来上がった告知文がこちら。アイキャッチは私の好きなカフェからデザインイメージを拝借したのは内緒である。
恥ずかしながら企画書を作り始めたのは告知を始めてからであった。時間配分、テーブルの配置などの大枠から備品リストの作成と手配など細部にわたるまで、やることはかなり多い。地味な作業に終われる日々が続いた。
会場配置図や、備品リストなどなど
告知文と画像が出来上がった頃、なんと社長のご厚意でスタンダードブックストアのホームページにイベントの告知を掲載して頂けることになった!超有名店である同店のホームページは、おそらく数万人の方が見ているメディアである。
予想通りのメディア力で、ホームページに掲載された直後から怒濤の申し込みラッシュであった。定員を軽くオーバーするペースで申し込みが止まらず、またしてもびびる我々であった。
読書会開催記②
読書会開催記の続きです。
読書会を開こう。・・と決意したものの、ほとんどゼロの状態からイベントを開くのは大変だ。具体的には、①会場、②参加者(を集める方法)そして③企画(イベント内容)の3つを確立させなければイベントは成立しない。
特に難しいのは②参加者をいかに集めるかだろう。イベントを開いても参加者がいなければ意味がないし、逆に参加者さえ集まっていれば③企画が不十分だったり①会場が多少不便でもその場のノリでなんとか上手く行ったりする。貴重な資産である時間とお金を割いてまでイベントに来てくれる人を20人も30人も集めるのは簡単なことではない。SNSやホームページで告知をしたとしても、開催実績の無い読書会にどれだけ人が集まってくれるかは謎である。集客が未知数であれば①会場も決められない。下手すれば大赤字である。
・・などと書くと段々弱気になってしまいそうであるが、私が最終的に行き着いた結論は、「関西で本が好きな人であれば誰もが知っている素晴らしい会場を確保する!」という作戦であった。読書会の知名度がゼロであるぶん、参加を後押ししてくれるような素晴らしい会場を確保することが出来れば自然に人は集まるはず・・?という大胆な仮説のもと、まずは最高の会場を抑えることを最優先の目標として動き始めた。
私の中で第一希望として真っ先に挙がったのが、大阪/心斎橋にあるスタンダードブックストアという書店である。この書店は私と妻の初のデート場所・・というどうでもいい情報は置いておくとして、関西で本が好きな人ならまさしく誰しもが知っているアイコニックな書店である。イベント会場にもなる大きなカフェスペースを併設する。こちらの書店のカフェスペースでは、毎日のように出版記念イベントやトークショー、本にちなんだワークショップが開催されている。有名どころでは谷川俊太郎からASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文、イラストレーターの中村祐介まで、そうそうたる文化人が登壇したこともある。
そんな書店で素人かつ実績ゼロの私がイベント開催の相談をするなど、無謀というか畏れ多いというか恐縮しかないのだけど、よくよくホームページを見てみるとイベント会場としてのカフェスペースの貸し出しもされているそうだ。私は勇気を出して飛び込み営業をしてみることにした。まずは社長に飛び込み電話。しかし社長がお忙しいそうで、お電話は中々繋がらない。(その当時、社長がお忙しかった理由は後に判明する)
その後、読書会の様子が分かる写真と開催意図をメールでお送りして待つこと約1週間。なんとすぐに開催OKを頂くことができた!あまつさえ、書店のホームページにイベント告知まで載せて頂けることになった。お会いしたこともない素人なのに、頼んだこちらが驚くほどの懐の深さである。感謝と恐縮が入り交じる興奮が落ち着いた頃、後戻り出来ない状況になったことを自覚して若干焦る。そしてイベントは走り出しました。
読書会開催記①
前に書いたと思うけれど、妻とはとある読書会で出会った。読書会で当時の妻が紹介してくれた本を読んでみて、感想を話し合ったことがきっかけで仲良くなって今に至る。あの日気まぐれで読書会に出掛けていなければ私は貿易にもファミリービジネスにも縁が無くそのまま国内メーカーでずっと働いていたのかなぁと思うとすごい話で、人生は何が起こるか本当に分からないとしみじみ思う。
読書会というローカルな活動と世界を相手にする貿易業は対極のように見えるけれど、印刷業界で事業を営むうちの会社は読書とは実は縁が深い。印刷機械や印刷材料など、仕事で扱うものは出版印刷に関わるものばかりだ。無骨な印刷現場と落ち着いた読書の時間はかけ離れていると言えばかけ離れているし、印刷業界に生きる人達に読書家が多い訳でもないけれど、仕事を通じて世界中の"本"というカルチャーを支えていると信じている。
読書会、貿易、ファミリービジネス、結婚生活。私の人生を彩るバラバラの要素を読書(プライベート・夫婦・家族)ー読書会(ローカル・コミュニティ・友人)ー印刷・製本(仕事・生活手段・社会)ー貿易(世界との繋がり)・・という構図で考えると筋が通って来る。貿易の仕事を始めて1年が経ち、ローカル(私)とグローバル(公)を繋ぐ結節点として、読書会という活動を意識するようになった。
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私と妻の出会ったきっかけを作ってくれたReadingcircleという読書会サークルは、当時は5-6人から30人くらいの規模の読書会を関西で定期的に開いていた。最近響いた本を自由に持ち寄るという持ち寄り形式の読書会で、面白い人・話・本が集まる素晴らしい場であった。我々もその会に足繁く通ううち、暖簾分けのような形で読書会を開催させてもらうようになった。
・・が、当時の主要メンバーが続々と忙しくなってしまった。会社を起業した人もいれば、就職したり転勤したり、ご結婚されたりベイビーが誕生したり、私自身も結婚したり転職したりで自分の生活すらままならない状態であった。主要メンバー同士の交流は続いていたものの、読書会Readingcircleは休業状態が4年ほど続いてしまっていた。
ようやく私の生活も徐々に落ち着きを見せて来たので、読書会を再会させようと決意して動き始めました。続きます。
マレーシア出張③
マレーシア出張記の最終回です。
インドのお客さんの運転で、マレーシアを南に2時間爆走してマラッカに到着。現地の印刷工場、製本工場を幾つか案内してくれた。マラッカはヨーロッパの影響を強く受けた地域らしいのだけど、案内してもらった工場は全て中華系であった。社名も中国語であれば、従業員の方も皆中華系。心なしか街並みも中国っぽかった。
工場の視察が無事に終了した後、中華系の現地のセールスマンの方が簡単な接待をしてくれた。壁の無い簡素な作りの中華料理屋さんで、オープンカフェというよりは日本で言うところのちょい飲み屋のようなものだろうか。一人で来てたらまず入る勇気が出ないようなお店に連れて行ってもらえるのは役得とも言える。ここで私は世にも珍しい光景を見た。
ご存じ世界で一番"押しの強い"人達である中国人は、接待の際も押しが強い。食べきれない程の料理と酒でテーブルを埋めるのが彼らの歓迎の気持ちである。(日本もこの文化圏に属しているのだけど、我々でも驚くほどの食べ物を並べてくれる)
そして、インド人も中国人と負けず劣らず押しが強い人達である。彼らは食事に対してすごく保守的な面があり、海外に行っても自国の料理以外のものを食べる方はほとんどいない。
さて、、どんな相手にも強引に中華料理を振る舞う中国人が、どこに行ってもカレーしか食べないインド人を相手にするとどうなるか・・?
「これ食べなよ!美味しいから!食べなよ!」
「ノー!ベジタリアンだから食べない!」
「野菜料理を頼んであげたよ!!ベジタリアンでも食べれるだろう!ほらほら!」
「ノー!お腹いっぱいだからいらない!」
「一口くらい食べれるだろう!美味しいからトライしてみようよ!」
「ノーサンキュー!!」
・・とても接待とは思えない光景であった。両名とも自国の食文化に強く誇りを持ってるのは偉いなぁと思わないでもないけれど。
最強の矛と最強の盾の争いの結末はインド人の勝利で、結局大量に並んだ料理を彼らは一口も食べなかった。私は大量に残った料理を(お腹壊しませんように!)と一心に祈りながら全部平らげる羽目になった。(しかも貝料理)
そんなこんなで出張も終わり、記念写真を撮ってお別れしたインド人ディーラー達には後からすげー苦労させられる羽目になるのだけど、それはまたいつかの機会に・・・
マレーシア出張②
マレーシア出張記の続き。
マレーシア出張と言っても、今回の商談相手はマレー系の人達ではなくインド系のビジネスマン達である。マレーシア生まれのインド系エンジニアと、このためにわざわざインドからベテランセールスマンお二人が来てくれた。ハングリーで賢くしたたかなインド系ビジネスマン達はインド本国だけでなく、近隣諸国でも大いに幅を利かせているのだ。
以前ドバイに出張したときもお客さんは全員インド系だったし、最近の商売相手のインド率がぐんぐん上がっている。私の30代・40代はインド人を抜きには決して語れないものになるのだろう。こじんまりした普通車におじさん5人が同乗し、目当ての機械がある工場まで送ってくれた。
商談はまあ無事に終わり、ランチタイムである。マレーシアには「ニョニャ料理」と呼ばれるマレー文化と中華文化が融合したとても豊かな食文化がある。密かに楽しみにしていたのだけど、残念ながら今回はニョニャ料理に触れる機会はなかった。なぜならばインドの人達はあれほどアグレッシブな人達でありながら、食事にはすごく保守的なのである。海外に行ったからといって異国の料理を食べることはまずなく、どこの国にも必ず存在するインド人向けのレストランを利用するか、奥さんが作った"おべんとう"を大量に持参して自国の食文化を頑なに守るのだ。
勿論我々もそれに合わせるのがマナーであるのだが、最近インドの方との会食が続き、インド料理ばかり食べている気がする。。美味しいけどね。今回もランチはインド料理。バナナの葉に乗った大盛りのビリヤニでした。スプーンも出ない本格的なインドレストランで、手掴みで頂いた。
ランチ後、仕事熱心なインド系ビジネスマン達は「ついでに他の機械も見てくよねー!」と、マラッカまで我々を案内してくれることになった。(片道2時間の距離だということを知っていたらちょっと考えたのかもしれないのだが)おじさん5人を乗せた普通車は不吉な音を立てながらマレーシアの高速道路を南へ爆走するのであった。
マレーシア出張①
あけましておめでとうございます。(遅)
無事にお正月休みを終え、今年も元気に働きはじめております。
正月ボケも冷めやらぬ1月上旬、マレーシアに出張に行ってきました。今回の出張はかなりの弾丸出張。出張が決まった翌日に出発、そして滞在時間約34時間という強行軍である。
ずうっと長いことお客さんから購入したいとリクエストを受けていた機械があった。目当ての機械が中々見つからずに困っていたのだけど、他のお客さんを介してその機械がなんとマレーシアで発見された。結構珍しい機械であり、良いコンデシションのものも少ないので奇跡的な幸運と言える。
滅多にない好機を逃さず商談をまとめるために、急遽マレーシアに飛ぶことになった・・というのが今回の出張のいきさつである。今回の出張は初の義父との二人旅。
出張が決まってから大慌てで飛行機やホテルの手配や荷物の準備。お金さえ払えば海外渡航のチケットなど当日でも取れる・・というのも海外経験の浅い私には新鮮な経験であった。
関西空港-クアラルンプール国際空港間はエアアジアというLCCが就航しており、格安で渡航することが出来る。(2人で往復8万円程度)
現地には朝4時の到着。気温は29℃。明け方の到着なので、今回は空港からホテルまでのハイヤーを事前に手配。(この旅では空港ハイヤーを初めて利用した。値段はタクシーの倍くらいするのだけど、時間の限られている弾丸出張ではタクシーでぼったくりに逢うリスクや空港で迷う心配がないのは大きい。)
朝の6時にホテルに到着。ホテル天国のマレーシアでは日本の相場の4分の1くらいの価格でそこそこの高級ホテルに泊まることが出来る。この旅唯一の役得であった。人の少ないホテルのレストランで朝食を食べてまずは仮眠。起きたら早速仕事です。続きます。