モバイルベースな人達②
モバイル端末の技術が進歩していつでもどこでも仕事が出来る時代が到来した。貿易マンにとっては有り難い時代である。それに呼応するように、企業や世間はリモートワークや在宅ワークなど、オフィス以外の場所でも働けることを支援する風潮になってきている。
それはいいことだとは思うのだけど、モバイルベースな働き方は外で働くこと自体を賛美する傾向にあり"快適に"働けるか、という観点が軽視されているんじゃないかなーと思ってしまう。
混雑したカフェで店員に白い目で見られながらカシャカシャパソコンをいじるのが快適だとは思えないし、外出先で運良くWifiにありつける保証はない。Wifiの接続だって一筋縄ではいかないケースも多い。テザリングだって電波環境はまだまだ不安定だし、テザリングしながら働くのであればパソコンかスマートフォンのバッテリーが切れたら即仕事終了である。最悪、電源やワイファイを求めて都会を彷徨う羽目になる。
モバイル用途に特化された小型パソコンやタブレットやスマートフォンで大抵の仕事はこなせるかもしれないけど、フルサイズのキーボードやマウスやテンキーを使った方がもっと快適じゃないか?スキャナやプリンタを外出先で調達するのも難しいだろう。駅のホームの片隅に座り込んでパソコンをいじるビジネスマンなど最近見かけるけど、私の目には不幸な働き方を体現する可哀想な人にしか見えない(ごめんなさい)。
私はパソコンは断然17インチ派であり、いつもでっかいパソコンを背負って義実家に通勤している。妙なところで繊細というか、多少の不便を背負ってでも愛用のパソコンとお気に入りの文具を使って環境の整ったオフィスでないと快適に仕事が出来ない人間なのである。こんな私はモバイル時代には時代遅れとなって取り残されてしまうのであろうか。
不便に思えてもモバイルワークに順応すべきなのか、それとも環境の整った場所で働くことを優先すべきなのか。どちらが正しいのかは分からないけど、モバイルワークに順応する準備は始めないといけないだろう。仕事に役立ちそうなスマートフォンのアプリケーションや、モバイルワークに役立ちそうなグッズなど、可能な範囲でどんどん取り入れて試していこうと思う。
手始めに最近取り組んでいるのが「英語音声入力」。フルキーボードのパソコンがないと仕事が・・なんて甘えたことを言ってないで、外出先でもスピーディーに英語の長文メールを出せるようにスマートフォンの英語音声入力の特訓中です。
・・・何度頑張ってもThank you!がSinc you!(沈めるぞ!)と変換されてしまいます。
モバイルベースな人達①
パソコンが普及する以前の貿易マンはエアメール(手紙)で仕事上のやりとりをしていたそうだ。手紙が往復するのに早くても1ヶ月。電子メールが普及した今となっては信じられない時代だ。そして電子メールに続くコミュニケーション革命・・とまでは言えないかもしれないけれど、最近はインスタントメッセンジャーアプリがないと仕事にならなくなってきている。
独立系の貿易マン達は世界じゅうを飛び回りながら仕事をするので、常にデスクに座って仕事をする人は少ない。そんな彼らとインスタントメッセンジャーはとても相性が良いらしく、他の業界以上に"電子メール離れ"が進んでいる。
・Wechat →中国・東南アジア
・LINE →日本・韓国
・Whatsapp→インド・中東・東南アジア
・・といった分布です。こちらは複数のアプリを同時にチェックしなければならないため煩雑で結構困っているのだけど、インスタントメッセンジャーへの移行はどんどん加速している。(特にインド・中国のお客さん)
パソコン以上の性能のスマートフォンがどんどん発売されていく中で、パソコンを持たないお客さんもこの先増えていくのかな・・と思うけれど、我々の周辺ではそこまでの変化は今のところ起きる気配がない。電子メール離れは進んでも、大事な書類などはやっぱり電子メールでやりとりをするし、スマートフォンを使ってコミュニケーション以上の仕事(書類作成とか)をするお客さんも登場していない。なんのかんの言ってもビジネス界ではMicrosoftオフィス(Excel,powerpoint,Outlook)がまだまだ覇権を手放さないようだ。
・・とはいえ、脱電子メール/脱パソコンの時代がいつか訪れるのは必然だろう。ホリエモンこと堀江貴文さんは、もはやパソコンを持たずに仕事をされているとか!モバイルベースで圧倒的に生産的な人達がこれからの時代を引っ張るのだろう。いつの間にやら時代遅れにならないよう、モバイルベースの働き方に順応する準備をしなければなーと思うこの頃です。続きます。
フィリピーノご接待
フィリピンからのお客さんとの商用で横浜出張でした。
先方もファミリービジネスを営んでおり、今回は父・母・娘の3人で訪問してくれました。お会いして一緒に食事をするのであれば、お互いファミリービジネス同士が一番コミュニケーションが取りやすい。
会話をしながら相手を"探る"ポイントは、普通の企業とファミリービジネスでは異なる。ファミリービジネスの世界では、家族の団結や幸福がビジネスの将来性に大きく影響を与える。そのため仕事の話以上に互いの家族の話を熱心に交換する。家族がハッピーで、次の世代に上手にバトンを回せそうな会社とは長い取引が期待できるし、家族不和があったり、次世代に不安がある会社とは自然と取引も薄くなっていく。そのへんの感覚はファミリービジネス業界では世界共通のようでコミュニケーションの勘所にズレがないため話もスムーズに進むのだ。
その点、フィリピンのMさんご一家は同じファミリービジネスと言っては失礼なほど、大変繁栄されている方々であった。お家や車や、家族イベントの写真などを見せてもらうと、日本でもちょっと見ないくらい上質な暮らしをされていらっしゃる。当然ながらメイドさんも大勢抱えておられる。娘が結婚したらもう一人雇わなきゃね~と、まるで家具を新調するかのように語る。
私にオンラインで英語を教えてくれているフィリピン人の先生達は(日本の感覚だと)びっくりする程安い給料で働いておられるのを鑑みると、現地ではケタ違いのお金持ちなんだろうなーと想像する。
インドを除くアジア・東南アジアのお客さんは親日家の方が多いのだけど、Mさんご一家はその中でも特に親日家であった。最近インドの方との会食が多かったせいか、お世辞抜きに日本食を楽しんでくれるお客さんは久しぶりであった。生魚(お刺身)をお客さんと食べられるのも結構レアな経験である。
娘さんは古いものから新しいものまで日本のアニメ・マンガにとても詳しかった。(まさかマンガとアニメの知識が仕事の役に立つとは思っていなかったけど、日本のサブカルチャーにそれなりに精通しているおかげで海外の若い世代の人とは最近すごく話がしやすい)「商用が終わったら絶対オニツカタイガーとイッセイミヤケで買い物するの!」という渋いセレクトであった。
いつか現地で会いましょうねー!と握手をして解散。(いつか現地で会いましょうね!という口約束の負債が溜まっている今日この頃です。)
バーチャルお義父さんシステム
いつか中古機ビジネスについて書いた話の続きです。
日本国内の印刷業者さんが廃業や買い換えなどの理由で印刷機を手放すことがある。(残念ながら最近は廃業案件の方が多いのだけど)手放されるのは何十年と使用された機械だけど、日本製印刷機はそもそもモノがよく、日本人は機械をすごく大事に扱うので中古でもまだまだ使える。そういった機械に次なる職場を与えることを生業とする業者というものが世間には存在し、我々はその業界の片隅で中古印刷機を海外に輸出する商売をやっている。
海外に販売された中古機は現地ではメーカーのメンテナンスなど受けられないし、そもそもパーツが足りなかったり、機械がちゃんと動かないことだってある。その代わり値段は新台の1/10くらいと激安である。新台では5,000万円くらいの機械が500万円とかで買えるので、どう考えてもお得である。ただ、なにぶん中古なので体感値では3割くらいの確率でトラブルが起こる。値段が高いだけにトラブルが起きたら冷や汗モノだ。メンテが上手く行きトラブルがなく無事に売り抜けることができれば結構儲かる・・というハイリスクハイリターンな商売である。
私の義父はこの切った張ったの中古印刷機業界で何十年と生き抜いてきた人である。知識と経験がモノを言う商売なので、70代にしてバリバリ実務の中心として活躍中である。義父を見ていると、年齢を重ねることで職人的に益々スキルアップしていく仕事もあるんだなーと感じ入る。
・・が、これは印刷業界素人の私には到底辿り着けない領域であり、そのことに私は長らくうっすらとした危機感を抱いている。
その対策の第一弾として、「バーチャルお義父さんシステム」というプロジェクトを立ち上げた。うちの会社の過去の取引をデータベース化して、経験が足りない分をデータで補うことで少しでも義父に追いつこというものだ。
これまでの取引履歴がエクセルとかで残っていたら良かったのだけど、私以外の全員がアナログ人間のうちの会社に残っていたのは、大量の伝票のみ!
目をしぱしぱさせながら、まずは2年分の集計を終えました。こういう地道な作業をコツコツと続けられるのは数少ない私の長所である。大企業の本社で3年間エクセル奴隷のような仕事をやって身についた貴重なスキルです。今となっては感謝しかない。
いつか役に立つ日が来ますように。
ウッタラ・バンクの謎
家族で貿易業を営む我々は、海外の銀行とやりとりをする機会が結構多い。貿易の世界では「早く商品をよこせ!」「いや、金が先だ!」・・といった西部劇みたいな(?)シチュエーションになることがよくあるので、そういうときは銀行に間に入ってもらって取引を仲介してもらうのです。
うちの会社で一番やりとりをする機会が多いのは、バングラデシュにある「ウッタラ・バンク ナワブプール支店」という、この仕事をやっていなければ一生聞くことがなかったであろう銀行である。
ウッタラ・バンクは困った銀行だ。時には何百万円という取引を完了させるために必要な書類のやりとりをするのだが、ウッタラバンクは銀行の癖にかなりの高確率で初歩的なスペルミスをしたり、金額の桁を間違えてきたりする。銀行にミスをされると後々すごく面倒なことになるので、ウッタラバンクから書類が来たら必死にチェックをしている。普通逆じゃないのか。。
"銀行"とか"通関"とか"郵便"とか、日本の感覚だと絶対しっかりしてるであろう機関が往往にして頼りないのは発展途中の国と取引をする際の悩みどころなのだろうか。いつか現地に行く機会があれば担当者に嫌味の一つでも言ってやりたいのだけど、機会あるかな。。
夏の思い出②
夏の思い出。その2。
3歳児と一つ屋根の下で仕事をする・・というだけでも大変だったのだけど、もう一つ大変なことがあった。姪っ子氏は"トイトレ完遂"のミッションを背負って日本に帰ってきたのだ。姪っ子氏は中東某国に帰ったらすぐに幼稚園入園を控えており、それまでにトイレに行けるようにならないと入園に支障が出るかもしれない・・という結構切羽詰まった状況でもあった。
なので姪っ子氏は日中はオムツを外してトレパン(通称お姉ちゃんパンツ)で過ごす日々だった。トイトレ中の幼児は時限爆弾のようなもので家族全員、常に注意していなければならない。姪っ子氏がもじもじしたり、おしっこ~と言い出したら直ちに姪っ子氏を抱えておまるにダッシュする・・というスリリングな日々であった。
試行錯誤の末に辿り着いたのは「自己啓発本作戦」。義妹が図書館やメルカリで沢山のトイトレ系の絵本や紙芝居(通称自己啓発本)を準備して、それを読み聞かせることで苦手意識を減らす作戦だ。意外にも喜んで読んでくれたり、時には自分で紙芝居をやりたがったりと、少しづつトイレへの抵抗が無くなっていったようだ。
そしてもう一つ上手く行った?のが「後輩作戦」。
ステラちゃんという赤ちゃん人形(通称後輩)を我々夫婦から姪っ子氏にプレゼントして、まだオムツが取れないステラちゃんの教育を姪っ子にさせるという作戦だ。丁度人のお世話を焼きたい願望が芽生えてきたタイミングだったのか、熱心(?)にお世話をしてくれたのだが・・・、
「みーちゃーん、ステラちゃんのオシメ替えてあげてー」
「ああもう!!!!もーおしっこばっかりしてー!!!」
「・・・・しらない!!」
「えっ」
「みーちゃんもうしらなーい!!!!!」ダダダダダ・・・(走り去る音)
大人達が薦めすぎたせいか、ヒステリックに育児放棄をするようになった。。。自分自身のトイトレを客観視することでトイトレ完遂に繋げる成長のプロセスだったと信じよう。。。
夏の思い出①
中東某国で暮らす姪っ子&義妹氏が帰省していたので、交代で姪っ子の子守をしながら家業を営む夏でした。
学生時代保育園でアルバイトしていた私は無駄に子供の相手が得意で、姪っ子氏は大いに懐いてくれた。嬉しい反面、3歳児のパワハラに手を焼く日々であった。子供の居る暮らしは想像以上に大変だったけど、赤ちゃんと幼児と女子のあいだを彷徨うようにしながら日々成長する姪っ子氏の姿はとても面白く学ぶことも多かった。
*我々の夏の暮らしの一幕
姪っ子氏のマイブームは"おどり"。中東の音楽を流しながらベリーダンスの振り付けのマネをするというものだ。一人で踊ってくれたらいいのだけど、何故かおどりをするときは私を呼びに来る。
「じゅーん!!踊りしよ!」
「ちょっと仕事が、、」
「ねーえーおどりー!!」
「ちょっと待って。。ねっ」
「おーどーりー(怒)!!!!!」
「お仕事だから。。ちょっと一人で遊んでてね。」
「おぉぉーどぉぉおーりいぃぃぃ(怒)!!!!!」
仕事にならん(°_°)
姪っ子氏は幼児らしく、NHKの教育番組とかが大好きである。何か観たくなると私のiphoneを目当てに寄ってくる。
「ねーえー!ぽけっとなーす見せてー!」
「??」
「ぴよっとたんぷだよお!!」
「???」
「ぴよっとたんぷ!!!ぽけっとなーす!!!」
「??????」
「もういいよ(怒)!!」
後に"ピタゴラスイッチ"のことだったと判明した。分かるかっ!
衣装へのこだわりも芽生えてきたようだ。3歳児でも女子は女子なんだなぁと感心するのだけど、"おどり"をする際にくるっと回ったときにスカートがふわっとする・・というのが"可愛い服"の定義らしい。
「ねーえー!この服いやー!!」
くるくる回る
「ふわっとしない!!ほらー!!!」
くるくる回り続ける
「ほーらー!!ふわっとしないじゃーん!!!」
ドレスかワンピースを着せるまで、くるくる回りながら不具合を訴える姪っ子氏であった。