familybusiness’s diary

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読書録:リトルピープルの時代

*読書メモ

リトル・ピープルの時代

宇野常寛の評論3部作(・・と勝手に呼んでいるのだけど)の2冊目。

「ゼロ年代の想像力」の課題の中心が911同時多発テロ以降の世界であるとするならば、「リトル・ピープルの時代」の評論を駆動するのは東日本大震災がもたらした社会の(想像力の変質)だろう。

震災の混乱の中、私達は唐突に原子力という脅威を突きつけられた。原発問題の脅威がこれまでの国家的脅威と異なる点は、それが外部から現れた脅威ではなく我々の日常に内在し、そのために単純に排除することが出来ない点だ。

そして震災が起きた時代は、情報ネットワークの力によって無数の接続と無数の分断が生まれた時代でもある。GAFA企業の躍進に代表されるようにグローバル資本主義が台頭し、国家以上の力をもった巨大企業群がインターネットで世界中の情報と世界中の個人を繋いでしまった。張り巡らされた情報ネットワークは、まるで鉄条網のように無数の分断を生んだ。

原発問題という社会の内部に存在する脅威、インターネットの無数の接続が生む無数の対立(その極端な表出がテロの連鎖)。私達は、新しい時代の新しい課題を対処可能な政治(社会システム)も無ければ、有効な生き方も持たないまま時代の変化に振り回されるままに生きている。その混乱の本質は、新たな時代の新たな課題に、私達の想像力が追いついていないからである。本作では、震災以後の世界を捉えるための手法として、村上春樹、仮面ライダー、ウルトラマンを同時に批評するという実にアクロバティックな論法を展開する。

・・これだけ書くとまるでトンデモ本か悪い冗談のようだけど、これは真剣に我々の現在を論じる本だ。なぜならば、我々の想像力の限界を論じるためにはフィクションを論じることは欠かせない。市場の要請に応えることが存在意義である商業作品は、時代の空気を正確に反射する。ウルトラマン、仮面ライダーといった子供向け作品に描かれる世界は、まるで雨上がりの水たまりのように世界の歪みを映し出すのだ。

 

***

 

本作は、「歴史」や「国民国家」といった大きな物語がギリギリ成立していた時代、すなわち冷戦末期の1968年まで遡って論を始める。かつて「国民国家」とは明確な思想と物語を持ち、擬人化されることが可能な存在であった。誰もが共有出来る歴史を背負った国民国家は国民の父(=ビッグ・ブラザー)として機能していた。その後の冷戦構造の終結、消費社会・グローバリゼーションの到来など現在まで続く変化によって、国家に対して国民全員が共有できる「歴史」や「国民国家」といった大きな物語は成立しなくなってしまった。価値観の多様化、と簡単に言うには大きすぎる変化である。

そんな大きな物語の崩壊は、アイデンティティ不安の時代を経て、大きな物語を持たないまま誰もが小さな物語を生きる小さな父=リトルピープルとして機能してしまう時代を迎える。そしてリトルピープルの時代は、インターネットの力を借りながらますます極端に向かい、無数の小さな父=リトルピープルが無限に衝突し合う世界へと突き進んでいる。

本書では、このビッグブラザーの時代リトルピープルの時代の価値観の転換を追いながら村上春樹論を展開する。

初期(80年代)の村上春樹は、ビッグブラザーが徐々に崩壊する時代における倫理のあり方としてデタッチメント(距離を置く)という態度を提示し、それに成功した作家でもあった。それが「僕」一人称の世界において、ナルシシズムを記述する文学世界である。

その後、春樹はデタッチメントという文学的態度を転向することになるのが、「ねじまき鳥クロニクル」(95年)以降の春樹の文学的苦闘(迷走)は、リトルピープルの時代における課題(無数の小さな父が衝突し合う時代の暴力)を扱う想像力を生み出せない点にある。

そんな近年(海辺のカフカ、1Q84あたり)の村上春樹が直面している文学的課題(=リトルピープルの時代における課題)の正体を、本書ではウルトラマン、仮面ライダーという作品が通過した変質(特に、平成仮面ライダーの奇形進化)を通じて明らかにしていく。

平成の仮面ライダーは、"いわゆる"仮面ライダーとは大きく異なっている。例えば、「仮面ライダー龍騎」という作品では13人の仮面ライダーが各々の願いを実現するためにヒーロー同士のバトルロイヤルを繰り広げる。この作品は、無数の正義が対立する時代(リトルピープルの時代)を直接的に描いている。

もしくは、過去の仮面ライダーを召喚したり、過去の作品の仮面ライダーを身に纏って戦う「仮面ライダーディケイド」という作品がある。まるでウィキペディアをひくように戦うヒーローの姿は、歴史なき時代の歴史の在り方(ビッグブラザーなき世界)を象徴している。

・・などなど、平成の仮面ライダーは、偉大なる作家の想像力以上にこの時代を正確に映し出している。本書では、これらの流れを詳細に追いながら、リトルピープルの時代像に迫っていく。それは村上春樹を迷走させた文学的難題であると同時に、我々が未だ答えを出せていない社会の課題でもある。

いち春樹読者としては、なぜ"ねじまき"以降の村上春樹が読めなくなったのか・・、という疑問に対して実に納得性のある理解を与えてくれた。いち市民としての悩みは深まるばかりだけど、子供向け番組の枠内で13人のヒーローが殺し合う時代の奇形性には自覚的であるべきだなと感じる。

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