familybusiness’s diary

家族で貿易商社を営む日々のあれこれ

読書録:ゼロ年代の想像力

宇野常寛氏の評論にハマっております。

マンガもアニメもインターネットも好きなのになぜか宇野常寛氏に触れる機会がこれまでなく、お正月にやってたNHK特番「平成ネット史(仮)」で初めてお顔と名前を認識した。番組の中で同氏の発言がとても納得度の高いものであったことで興味を持って初めて評論家であるらしい、ということを発見(?)した。

そんな経緯で彼の評論集3冊、「ゼロ年代の想像力」「リトル・ピープルの時代」「母性のディストピア」に出会い、「とても大事なことが書いてある本だ!」と直観して読み始めた。3冊重ねると鈍器のような分厚さで、割と読書家の私にしても辛い分量と内容の濃さであったが、メモを取ったり参考資料に目を通したりしながら飽きずに通読することが出来た。分厚くて面白い本に出会えるというのは人生の幸福の一つだ。

 

*読書メモ*

「ゼロ年代の想像力」(2008年)

宇野常寛のデビュー作となった評論集。本書のタイトルにもあるゼロ年代は、小泉政権による構造改革(小さな政府路線の民営化や、雇用の流動化)が推し進められた時代であり、911世界同時多発テロが起こった時代でもある。そして本書の発刊後にリーマンショックが起こることになる。そんな時代背景は、ポップカルチャーの想像力にも大きな陰を落としていた。しかし、90年代の影響に引きずられたままの当時の評論界は、ゼロ年代を語る言葉を持たなかった。本書は、既に古びてしまった90年代の批評を退場させ、ゼロ年代の想像力を論じることを目的とする。

 

宇野常寛が指摘する、90年代の古い想像力とは何か?

それは「頑張っても報われない」「だから何もしない」という、引きこもり/心理主義である。その社会背景を象徴するのは、平成不況の長期化(頑張っても豊かになれない)と、95年に発生したオウム地下鉄サリン事件(生きる意味が分からない)。そんな時代の雰囲気を、95年新世紀エヴァンゲリオンでは「ロボットに乗って戦うことを拒否するパイロット」(社会的自己実現を果たすことの拒絶)、「世界を救うことより母親的な少女からの愛・承認を求める主人公」という描写で描き出した。

東浩紀のセカイ系論など、この時代を評論する言葉は確かに当時の論壇には存在していた。しかしゼロ年代に入って既に、「頑張っても豊かになれない」「生きる意味が分からない」ことを"前提"とした作品群が誕生していた。それが同書で語られる"ゼロ年代の想像力"である。

ゼロ年代の想像力とは何か?

それが氏が、サヴァイブ系(のちにカードゲーム系?)と評する作品群である。

ゼロ年代を代表する作品として挙げられる作品は、「DEATH NOTE」。この作品で主人公は、大人(社会)が自分の生きる意味を保証してくれるなどとは微塵も信じておらず、大量殺人を犯すことで彼の正義を追求する。

「頑張っても豊かになれない」「生きる意味が分からない」だから引きこもる、というのが90年代の思想であれば、「頑張っても豊かになれない」だから他者を蹴落とす(サヴァイブ)「生きる意味が分からない」自分の正義を決断する(決断主義)。というのがゼロ年代の主人公である。その価値観においては、"引きこもる若者"は体制への反逆者ではなく真っ先に蹴落とされる弱者でしかない。聖域なき構造改革に代表されるゼロ年代の社会情勢は、我々の想像力に「引きこもっていたら殺される」という影響を与えた。

本書はそんな状況認識のもと、マンガ・アニメ・映画・テレビドラマといった幅広い作品群を手がかりにこの時代における課題に対峙していく。その課題とは、決断主義が陥る排他(暴力)の問題であり、90年代から続く自己承認の幼児的な追求が無自覚に陥る性暴力の問題でもある。

彼の的を得た時代認識もさることながら、どこまでも暴力と思考停止を嫌悪して"考え抜く"彼の姿勢が私はとても好きである。その後、「リトル・ピープルの時代」「母性のディストピア」に続くに至り、評論はどんどん辛口(?)になっていくけれど、時代の難しさと真摯に向き合っている証拠なのかなぁと思う。

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