読書録:コンテナ物語②
「コンテナ物語」読書録の続きです。長いです。
ものの本によると、イノベーションとは「技術的イノベーション」「非技術的イノベーション」のいずれかに大別されるという。コンテナリゼーションは、そのどちらに分類されるのか悩むところである。
なにしろコンテナ自体はただのでっかいアルミのハコである。ただ、コンテナを輸送するためのコンテナ船や高速クレーンまでをその範疇に含めるのであれば、技術面での恩恵は大きい。
けれど、本書を読むとコンテナリゼーションの真髄はむしろ、イノベーションなんて起こりようがなかったガッチガチの運輸制度を破壊・再編したことだということが窺える。そういう意味ではコンテナリゼーションは制度的(非技術的)イノベーションである。
コンテナリゼーションが起こる直前の海運業界は、以下の3重の枷を背負った、実に非イノベーティブな業界であった。(というか、生産性向上のメリットが無い業界であった。)
第一に、政府の保護と規制
当時の米国の運輸業界は公益性の観点から、政府の介入が極端に厳しい業界であった。港の開発はほとんど政府の公共事業であったし、過度な値下げ競争が起こらないよう運賃の値下げも厳しく規制されていた。
第二に、船会社同士の同盟
民間である船会社は複数社で同盟(カルテル)を組み、盟外の船会社を露骨に排除することでカルテルを強固に維持していた。輸送価格はカルテル内の談合で決められていたため、船会社は価格を乱すことなく既得権益を山分けすることが出来ていた。
第三に、労働組合の存在
コンテナリゼーションが起こる以前の海運業界は、実に労働集約的な業界であった。なにしろ、全ての積み荷を一個づつ人力で積み込んでいくという、18世紀頃のスタイルからほとんど変わっていなかった。港の労働者達を束ねる労働組合はスト権を盾に強い交渉力を持っていた。省人力化による生産性の向上などもってのほかだったのである。
上記の三重の枷に守られ(縛られ)ているお陰で、安穏と既得権益を分け合うことのできる業界だったのだ。
そんな硬直した海運業界に風穴を開けたのがマルコムマクリーンという人物。彼はトラック運輸会社の経営者であり、海運業界では全くの門外漢であった。けれど、門外漢だからこそトラック・汽車・船をひっくるめて"モノを運ぶ"という観点から横断的な発想が出来たのだろうか。彼の誇大妄想的なアイデアはどんどん広がり、そして現実のものになっていく。
トラックを貨物ごと船で運ぼう!
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いや、トラックの荷台部分だけを切り離して船で運べばいい!
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そうじゃなくてコンテナというハコを作って船で運ぼう!
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コンテナをトラック・船・列車で運べるように規格を統一したらいいじゃないか!
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港に大型クレーンを建設してコンテナ仕様に改造しよう!
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コストを更に下げるために高速船を作ろう!
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高速船は燃料費が高い!じゃあ超大型船を作ろう!
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復路の貨物積載率が低い?世界一周航路にすればいいじゃないか!
ここまでの変化が実現されるまでに20年とかかっていない。多くのイノベーションは実現する途上で既成のシステムに潰されてしまうものなのだろうけど、コンテナリゼーションのような圧倒的なイノベーションだけは例外なのだろう。様々な障害に阻まれながらも、世界はたった20年で"コンテナ仕様"に作り替えられていった。そしてコンテナの威力を読み誤った人々・港・国々は成長に取り残されて衰えていった。最終的にはマクリーン率いるユナイテッドステーツ海運は12億ドルの負債を抱え破産したが、それでもコンテナリゼーションは止まらなかった。
その影響は全産業に及ぶけれど、例えば服飾業界。米国では60年代には国産の衣類は95%であったが、現在ではなんと国産の衣服は3%以下だという。なんというかこれはもう、資本主義のルールが書き換わったと言っても差し支えないくらいの大きな変化である。
コンテナリゼーションによって貿易は一気に拡大し、その影響は今日まで続いている。船の大きさから事業規模まで数字の巨大さにくらくらするお話だらけだったけれど、この業界の隅っこで飯を食っている人間としては読むべき本だった。もうちょこっと続きます。